ウィルトン伯爵
ウィルトン伯爵は、イギリスの伯爵、貴族。連合王国貴族爵位。1801年にトマス・エジャートンが叙されたことに始まる。
エジャートン家は中世以来、チェシャー州に位置するオールトン荘園(Oulton Estate)の地主を務めてきた一族で、その祖ローランド・エジャートン(?-1646)が1617年にイングランド準男爵位の(チェシャー州オールトン及びエジャートンの)準男爵(baronetcy, of Egerton and Oulton in the county of Chester)に叙されたことを発端とする。
彼の玄孫にあたる第7代準男爵トマス(1749–1814)は1784年にグレートブリテン貴族としてヘレフォード州ウィルトン城のグレイ・ド・ウィルトン男爵(Baron Grey de Wilton, of Wilton Castle in the County Hereford)に叙された。爵位名は前述のローランド・エジャートンの妻ブリジットがグレイ・ド・ウィルトン男爵の出身であったことに由来する。
ついで初代男爵は1801年に連合王国貴族としてウィルトン伯爵(Earl of Wilton)に陛爵するとともに、グレイ・ド・ウィルトン子爵(Viscount Grey de Wilton)に叙せられた。この2つの爵位にはいずれも特別継承権が付されており、初代男爵に男子なき場合はその娘イリナのヤンガーソン(すなわち彼の孫)に承継できるという内容であった。
初代伯が男子なく死去すると、伯爵位は特別継承権に基づいて彼の娘の次男トマス・グローヴナーに承継された[6]。一方で、男系継承を求めるグレイ・ド・ウィルトン男爵は廃絶、準男爵位は親族のジョン・グレイ・エジャートン(1766–1825)が相続した[2]。(→以降の詳細な歴史はグレイ・エジャートン準男爵を参照)
2代伯トマス(1799–1882)はトーリー党の政治家で、枢密顧問官(PC)やピール内閣下の宮内長官(英語版)を歴任した[7][8]。また彼は襲爵後の1821年に勅許を得て、「エジャートン」姓に改姓している[6][9]。
3代伯アーサー(1833-1885)はウェイマス及びバース選挙区選出の庶民院議員を務めたほか、引退後の1875年に連合王国貴族としてランカスター王権伯領におけるグレイ・ド・ラドクリフ男爵(Baron Grey de Radcliffe, in the County Palatine of Lancaster)に叙されたが彼には子がなかったため、この爵位は彼一代で廃絶した。その後は、彼の弟シーモアが爵位を承継した[6][10][11]。
以降は4代伯シーモア(1839–1898)の系統で爵位は継承されたが、そのひ孫にあたる7代伯シーモア(1921-1999)が嗣子なく没したため、2代伯トマスの系統は断絶した[6]。
そのため、2代伯の弟ロバートの家系であるエブリー男爵家に爵位は流出し、第6代エブリー男爵フランシス・エジャートン・グローヴナーが爵位を相続した。
2022年現在、彼がウィルトン伯爵家当主である。
一族のかつての邸宅は、リンカンシャー州ラウスに所在したエルキントン・ホール(Elkington Hall)であった。
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